ゆうきまる3歳
昨日は勇希が産まれた日。
勇希は二日間だけNICUで生きたんで、
今日は丸々生きていた日で、明日が命日です。
勇希、3歳のお誕生日おめでとう。
上にこうちゃんとあおちゃんがいるんで、
勇希は永遠の末っ子&天真爛漫な弟キャラのイメージがあるけど、
戸籍上は我が家の長男。
更に、ピコぼうが産まれたんんで、勇希にぃちゃんになるんだねー
兄になって得意げになってる姿が思い浮かぶけど、
私からしたら、やっぱり弟キャラが1番似合うな(笑)
ちょこっと、想い出話など・・・・
勇希とピコぼうは同じ大学病院で産まれたけど、
二年以上経つと、産科やNICUの先生や看護師さんが入れ替わってました。
産科の先生達はチームをローテーションするみたいで、
勇希を産んだ時の病棟でお世話になった女医さん達は、
別チームに替わっていたので、残念だなーと思いましたが、
教授回診の時に顔を合わせたら、ニコッと会釈してくださった先生が一人いて、
自分の事を覚えていてもらったのは嬉しかったです。
もちろん、ピコぼうでお世話になった新しいチームも、本当に良かった。
産科の看護師さんの中で、1番記憶に残っていたのは、
勇希が亡くなった時に、産科病棟からNICUまで車椅子を押してくれ、
退院まで面倒みてくださったベテラン看護師さん。
今回は私の術後当日の担当で、ピコ坊が産まれたのを喜んでくださったのと、
入院中に、ある若い先生の態度にムカついた事件がありまして、
(私、あまり人に腹を立てる事ないけど、本当に怒った!!)
看護師さん達を通して不満を物申したら(!)、他の先生にも伝わって、
「あの時は、よくぞ言ってくれましたー!!」と、賛同してもらえました>^_^<
あと、、NICUでお世話になった勇希の主治医。
私の出産時に、私服で駆け付けて分娩室に入って行ったんで、
その姿を見たうちの旦那さんは、
「妻の分娩室を間違えたよその旦那さん」・・・と思ったんだと。
私は密かに「コトー先生」と呼んでます(名前と誠実な人柄がDr コトーっぽいので)
他の病院も回って休む間もなさそうなくらい忙そうなのに、いつもフレッシュな雰囲気。
今は研究室にいらっしゃるそうだけど、ピコぼう入院中に3回くらい見かけました。
救急隊の人達と一緒にNICUを出入りしたり、たまたま当直だったり。
私が退院の日に夫婦でそろって保育器の前にいたら、
ニコニコと近づいてきて、「カルテで見てますよ。」と声をかけてもらい嬉しかったです。
その光景を、ガラス窓の向こうから見ていた私の母が、
「いい先生だねぇ。本当に良かった。なんか感極まって涙が出そうだった」と言ってました。
最後にNICUの看護師さん。
勇希の時は二日間しかいなかったし、NICUに通ったのも数回で、
看護師さんの顔を見る余裕なんてなかったけど、
GCUで、ピコぼうの担当看護師さんから「こうあおYさん!」と声をかけられ、
「私、こうあおYさんの事覚えているんですよ。
赤ちゃんに48時間生きてくれてありがとうって言ってたのが、すごく印象的だったんです!」
と言われました。。
えー!??私、そんなこと言ったかなー??と思ったけど、
自分が忘れているような事が、人の心に強く残ってるって嬉しかった。
私にとっては、こうちゃん、あおちゃんと死産二回続いて
勇希が小さくても生きて産まれたのは画期的な事でした。
早産で小さな赤ちゃんを産んだママの多くは自分を責めたり、
保育器の中にいる痛々しい我が子の姿を見て涙するそうです。
私も涙はしなかったけど、
保育器の中の勇希とピコぼうを見て大喜びはできなかったです。
あ~、今日も頑張ってるなぁ。。と、傍で見守るしかない感じ。
勇希とピコぼうが重なって不安だったし、
自宅の電話が鳴るたびに、病院からの呼び出しじゃないかと脅えました。
入院中に一番ノリが合った超明るい看護師さんに言われたのは、
「ここにいる子達は保育器に入って点滴したり、私達からしたら痛々しく見えるけど、
このこ達が生きる上でこれが必要でお腹の中にいるのと同じくらい普通の事なんですよ」
って笑顔で言われて、ずいぶん気持ち軽くなりました。
次々と想い出が出てきます。
しかも、勇希とピコぼうがごっちゃ混ぜ・・・
旦那さんも私も、時々、ピコぼうの名前を言ってるつもりが、
無意識に「勇希がね・・・」って言ったり、
勇希の話をしてるのに「ピコぼうが・・・」って言ってます。
「今、間違って言ったよ」って教えてあげてり、そのままにしておいたり・・・
こうちゃんも、あおちゃんも、勇希も、
ピコぼうを通して、み~んな、繋がって生きてるんだよね。
勇希は二日間だけNICUで生きたんで、
今日は丸々生きていた日で、明日が命日です。
勇希、3歳のお誕生日おめでとう。
上にこうちゃんとあおちゃんがいるんで、
勇希は永遠の末っ子&天真爛漫な弟キャラのイメージがあるけど、
戸籍上は我が家の長男。
更に、ピコぼうが産まれたんんで、勇希にぃちゃんになるんだねー
兄になって得意げになってる姿が思い浮かぶけど、
私からしたら、やっぱり弟キャラが1番似合うな(笑)
ちょこっと、想い出話など・・・・
勇希とピコぼうは同じ大学病院で産まれたけど、
二年以上経つと、産科やNICUの先生や看護師さんが入れ替わってました。
産科の先生達はチームをローテーションするみたいで、
勇希を産んだ時の病棟でお世話になった女医さん達は、
別チームに替わっていたので、残念だなーと思いましたが、
教授回診の時に顔を合わせたら、ニコッと会釈してくださった先生が一人いて、
自分の事を覚えていてもらったのは嬉しかったです。
もちろん、ピコぼうでお世話になった新しいチームも、本当に良かった。
産科の看護師さんの中で、1番記憶に残っていたのは、
勇希が亡くなった時に、産科病棟からNICUまで車椅子を押してくれ、
退院まで面倒みてくださったベテラン看護師さん。
今回は私の術後当日の担当で、ピコ坊が産まれたのを喜んでくださったのと、
入院中に、ある若い先生の態度にムカついた事件がありまして、
(私、あまり人に腹を立てる事ないけど、本当に怒った!!)
看護師さん達を通して不満を物申したら(!)、他の先生にも伝わって、
「あの時は、よくぞ言ってくれましたー!!」と、賛同してもらえました>^_^<
あと、、NICUでお世話になった勇希の主治医。
私の出産時に、私服で駆け付けて分娩室に入って行ったんで、
その姿を見たうちの旦那さんは、
「妻の分娩室を間違えたよその旦那さん」・・・と思ったんだと。
私は密かに「コトー先生」と呼んでます(名前と誠実な人柄がDr コトーっぽいので)
他の病院も回って休む間もなさそうなくらい忙そうなのに、いつもフレッシュな雰囲気。
今は研究室にいらっしゃるそうだけど、ピコぼう入院中に3回くらい見かけました。
救急隊の人達と一緒にNICUを出入りしたり、たまたま当直だったり。
私が退院の日に夫婦でそろって保育器の前にいたら、
ニコニコと近づいてきて、「カルテで見てますよ。」と声をかけてもらい嬉しかったです。
その光景を、ガラス窓の向こうから見ていた私の母が、
「いい先生だねぇ。本当に良かった。なんか感極まって涙が出そうだった」と言ってました。
最後にNICUの看護師さん。
勇希の時は二日間しかいなかったし、NICUに通ったのも数回で、
看護師さんの顔を見る余裕なんてなかったけど、
GCUで、ピコぼうの担当看護師さんから「こうあおYさん!」と声をかけられ、
「私、こうあおYさんの事覚えているんですよ。
赤ちゃんに48時間生きてくれてありがとうって言ってたのが、すごく印象的だったんです!」
と言われました。。
えー!??私、そんなこと言ったかなー??と思ったけど、
自分が忘れているような事が、人の心に強く残ってるって嬉しかった。
私にとっては、こうちゃん、あおちゃんと死産二回続いて
勇希が小さくても生きて産まれたのは画期的な事でした。
早産で小さな赤ちゃんを産んだママの多くは自分を責めたり、
保育器の中にいる痛々しい我が子の姿を見て涙するそうです。
私も涙はしなかったけど、
保育器の中の勇希とピコぼうを見て大喜びはできなかったです。
あ~、今日も頑張ってるなぁ。。と、傍で見守るしかない感じ。
勇希とピコぼうが重なって不安だったし、
自宅の電話が鳴るたびに、病院からの呼び出しじゃないかと脅えました。
入院中に一番ノリが合った超明るい看護師さんに言われたのは、
「ここにいる子達は保育器に入って点滴したり、私達からしたら痛々しく見えるけど、
このこ達が生きる上でこれが必要でお腹の中にいるのと同じくらい普通の事なんですよ」
って笑顔で言われて、ずいぶん気持ち軽くなりました。
次々と想い出が出てきます。
しかも、勇希とピコぼうがごっちゃ混ぜ・・・
旦那さんも私も、時々、ピコぼうの名前を言ってるつもりが、
無意識に「勇希がね・・・」って言ったり、
勇希の話をしてるのに「ピコぼうが・・・」って言ってます。
「今、間違って言ったよ」って教えてあげてり、そのままにしておいたり・・・
こうちゃんも、あおちゃんも、勇希も、
ピコぼうを通して、み~んな、繋がって生きてるんだよね。
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